私の見たナイジェリア -10月1日ナイジェリア独立記念日によせて-
皆様お久しぶりです、現在東アフリカのルワンダ滞在中です。
出張が終わったらルワンダについての記事を書こうと思っていますが、今日はナイジェリアについて書きます。
ナイジェリアは私が23才で赴任し1年弱を過ごした思い出深い国であり、その後オックスフォードで出会った親友の母国でもあります。
アフリカ一の経済規模と世界一の人口増加率を誇る未来ある大国。
皆様お久しぶりです、現在東アフリカのルワンダ滞在中です。
出張が終わったらルワンダについての記事を書こうと思っていますが、今日はナイジェリアについて書きます。
ナイジェリアは私が23才で赴任し1年弱を過ごした思い出深い国であり、その後オックスフォードで出会った親友の母国でもあります。
アフリカ一の経済規模と世界一の人口増加率を誇る未来ある大国。
この記事はアフリカ回想録エチオピアシリーズの3回目です。
1回目の記事はこちら→アフリカ回想録① 私の愛しい国、エチオピア-2010年
2回目の記事はこちら→アフリカ回想録② 仕事の原点 エチオピア-2010年
今回は2013年に二度目に訪れた時のお話をしたいと思います。
考えてみれば、一つの国に2回以上別の用件で訪れたのは、エチオピアが初めてだったように思います。同じ仕事をしている時に何度も出張に行くことはもちろんありますが、全く別の用で2度以上訪れた国は、今のところエチオピア以外になさそうです。
みなさまこんにちは。
私が今携わっている日本政府資金の国際協力事業、舞台は東アフリカのルワンダです。
ルワンダと言えば、おそらく日本の皆様の多くが最初に思い浮かべるのが、1994年のジェノサイド。「ジェノサイド」という言葉が一般的に認知されるきっかけとなった壮絶な悲劇の舞台です。
あるいは、ビジネス界の方々を中心として、もっと前向きな印象をお持ちの方も増えているかもしれません。
この記事はアフリカに関するステレオタイプ(前編)-統計が覆い隠す現実-の続きです。
前編冒頭で触れた開発関連の実務家や私の友人が言うように、なんらかの統計上でアフリカ人が知能で他の人種に劣ったとして、それは何を意味するのでしょう?
まずは、統計の取り方に問題があります。
例えば英語で試験を行ったのであれば、当然英語力の高い人の結果が良くなる。言語の問題を取り除けたとして、受けてきた教育のレベルが反映される。教育のあまり関係ない、知恵を問うような問題だったとして、我々が真理と信じるものを世界中の人間が真理と信じているかはわからない。
西洋的世界観を前提とする試験を受けさせているとすれば、それは、違う真理の元で生きる人々に試験の作成者の真理を押し付けていることに他ならないのです。
彼らは彼らの真理が唯一無二の真理だと考えているわけですが、実際、アフリカには非科学的(=非西洋的)世界観を真理として信じる人もいるのです。
彼らの世界で共有されている真実を、外部の人間が真実でないと言えるでしょうか。
それが非科学的だから?では科学が真実だとなぜ言い切れるのでしょう。
これは2013年6月、私が英国の大学院に通っていたころ、修士論文を書き終えたタイミングで執筆した文章に一部修正を加えたものです。(写真もなく文字数が多いので2回の投稿に分けています。)
アフリカに対しては日本で、そして世界で、かなり偏ったステレオタイプ的な見方がまかり通っています。アフリカ出身の友人たちと一緒にアフリカについて学んだ個人的な経験に基づき、私はそれを正面から批判します。
このページにアクセスしてくださったあなたがどういった関心でここにたどり着き、そしてあなたがどういうバックグランドを持つ人であるのか私にはわかりませんが、まずはご訪問ありがとうございます。
定期的に更新を、と思いつつも、開設の挨拶を除いて実質的に初回投稿にあたる今回、どういった内容の記事を書くのがよいか自分なりに考えていたら、開設から時間が経ってしまいました。