世界難民の日に寄せて -私が出会った難民・国内避難民-

/ 6月 20, 2018/ 世界/日本社会情勢, 難民

今日6月20日は世界難民の日です。

昨日発表されたUNHCRの最新報告(UNHCR Global Trends 2017⇒クリックで新しいタブで開きます)によると、2017年末時点で、強制的に移動を強いられた人(難民・国内避難民を含む)の数は6,850万人。昨年に引き続き、史上最多を記録しました。

このうち、最大を占めるのがシリア難民・国内避難民です。上述の報告書によると、2017年末時点で、シリアから他国へ逃れたシリア難民の数は630万人、シリア国内で避難生活を送っているシリア国内避難民の数は620万人に登ります。

このウェブサイトではアフリカを取り上げることばかりですが、私は2014年に数カ月間、イラクのクルド人自治区でシリア難民支援に携わっていました。

当時と比べても難民の数は増えるばかり。

世界難民の日の機会を捉えて、今日は私がイラクで出会ったシリア難民の写真を紹介します。

当時はIS(ISIL/ISIS/イスラム国)の攻勢により北部の主要都市モスルが制圧され、多数のイラク国内避難民がクルド人自治区に逃れてきた時期でもありました。

ここでは、イラク国内避難民の写真もあわせてご紹介します。

 

これはクルド人自治区最大のシリア難民キャンプであったドミズ難民キャンプでの写真です。

中央で白いシャツを着ているのが筆者です。

難民キャンプというとテントのイメージが強いかもしれません。

ドミズは広いので区画によって様子ががらりと変わりますが、このエリアはコンクリートブロックでできた住居が並んでいました。

私の左側に一緒に映っているのは、現地で共に活動をした当時の所属NGOの現地スタッフと、パートナーとして共に活動していた現地NGOのスタッフです。

つい先日、UNHCR大使を務める米女優のアンジェリーナ・ジョリーもこの地を訪れ、世界難民の日に向けたスピーチを行っていました。

 

これは同じドミズ難民キャンプで暮らす難民の方のお宅にお邪魔した時の写真です。

衛生促進の活動をしていたので、衛生に関する情報を書いたパンフレットを渡しています。

コンクリートブロック作りである程度頑丈ではありますが、中に入っても壁紙もなくむき出しのブロックが見えているあたりが、仮住まいであることを強く感じさせます。

住宅は単純な箱型で、中には仕切りもありません。

区画やキャンプにより配置や設置数は大きく異なりますが、トイレやシャワーは共同です。

 

これはアクレ難民キャンプという場所での写真です。

ここはもともと政府系組織の寮だったか、公的機関の所有する大きな建物でした。それが難民の流入を受けて、難民キャンプとして使われるようになったのです。

建物がある分、野ざらしのキャンプよりは良い環境だったと言えるかもしれませんが、もともとの部屋数では到底足りないので、壁に穴を開けたり布で仕切りを作ったりして、多くの家族が暮らしていました。

この少年はカメラを構える私に楽器を奏でて見せてくれました。

困難な生活の中でも遊びを忘れない子どもたちの姿には、いつも感激させられました。

 

ところ変わって、これはイラク国内避難民のために緊急に設置されたガルマワIDPキャンプです。

急ごしらえのキャンプでしたので、典型的な難民キャンプのテントが並んでいます。

この時は7月で、現地では最高気温が50度にも達する過酷な季節でした。

おしゃぶりをくわえた乳児が裸足で歩いている姿からは、取るものも取りあえず逃れてきた避難民の方たちの逼迫した状況が見て取れます。

 

同じガルマワの避難民の人々です。

余りにも熱いので、男性たちは頭にタオルを被って日よけにしています。

イラクは日本と違って乾燥していますので、日陰に入ればまとわりつくような暑さはありませんが、気温50度の炎天下でのテント生活は、私たち日本人の想像の範囲を超えているでしょう。

それでも人々はにこやかで、支援計画を立てるために状況を聞きたいと言うと、自分のテントに快く招き入れてくれます。

中には、お茶でも出そうと自ら声をかけてくれる人もいます。

援助業界で「レジリエンス」(日本語では、強靭さなどと訳されます)という言葉がしばしば使われるようになりましたが、難民の人々の笑顔は、まさに強靭な精神の現れであったと強く思います。

 

これはガルマワで冷風機を配布した時の写真です。

中央の人が背中に抱えて運んでいる大きな箱状のものが冷風機です。これはこの地域ではよく使われる冷房器具で、水を使って空気を冷却するものです。

当然水や電気を使うのですが、クルド人自治区政府は難民支援に大変熱心で、そうしたインフラの提供にはとても寛大かつ積極的でした。

UNHCRや各国からの援助団体が集まる会合でも、クルド人自治区政府の代表者が力強い発言をしていたのが印象的です。

イラクのクルド人自治区に逃れてくるシリア難民は同じクルド系の人が多かったので、同胞意識が強かったのもあるかと思います。

 

これはシリア難民の為に新たに建設中であったガウィーラン難民キャンプの新区画です。

コンクリートブロックの基礎部分にテントの屋根をつけた住居、そしてトイレ、シャワー、キッチンの四角い建物が整然と並んでいます。

ここは俗に「五つ星キャンプ」と呼ばれるほど、環境の整った区画でした。

この時はまだ難民の人々が住み始めていないので、延々と同じ建物が並ぶ様はとても無機質に見えます。

今この場所がどのような様子になっているのかはわかりませんが、人々の活気ある生活の場になっていればいいと思います。

 

クルド人自治区政府の姿勢については先に触れましたが、政府に留まらず一般の市民でも、自宅に何人もの難民を受け入れて一緒に生活している人もいました。

自分たちの生活の糧を削ってでも難民の人々を助けようとする意識が、彼らの間には当然のように存在していたのですね。

日本はほとんど難民認定をしない国ですし、大量の難民が押し寄せるという事態にも今のところは見舞われていません。ですから、自国に難民を迎えるということがうまく想像できず、さらに言語の壁に囲われて培われた閉鎖的な気質も手伝って、難民を脅威と見なしがちなように思います。

 

私がここで紹介した写真に映っている難民や国内避難民は、恐ろしい存在に見えますか?

 

私は自ら望んで人道支援に携わっていましたが、現場ではうまく進まないことも多く、ストレスの少ない仕事だとは決して言えません。

それでも私が支援に携わり続け、職業上は人道支援を離れた今もこうして難民に強い関心を寄せているのは、支援現場で出会った人々の笑顔と、彼らの精神の強靭さに心を打たれたからだと思います。

日本にいれば垣間見ることすらできない途方のない過酷さ。

理不尽にもそんな過酷な環境に置かれた難民や国内避難民の人々が、無名の若手援助実務者である私を歓迎し、笑いかけ、そして差し出した支援に感謝を示してくれた。

その実感が、私を「匿名の存在」から、確かな痕跡を残す「何者か」にしてくれたのだと思います。

匿名の集団の一部でなく、人格を備えた私という個人は、難民の苦境に目をつぶる人間ではいたくないのです。

 

日本を難民から遠ざけているのは、匿名性にくるまれた無関心ではないでしょうか。

匿名でいる限り、明白な不正義に目を瞑っても私たちの良心は痛まないでしょう。

でも、世界には今日も失われていく命があり、損なわれていく無垢な心があり、不正義を前に否応なく歪められていく精神があるのです。

私たちは無関心から脱却しなければいけません。

それには、まずは知ることからです。

 

この記事を目にとめてくださった方の一人でも多くが、これまでより少しでも難民や国内避難民に関心を持って下されば幸いです。

 

(この記事で使用した写真は、全て筆者が2014年にイラクのクルド人自治区で撮影したものです。)

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