上野千鶴子さんの祝辞から考える-女性の価値、男性の特権
実に10カ月ぶりの更新は、東大入学式での上野千鶴子さんの祝辞についてです。
入学式当日から賛否を呼び、色々な人がコメントしたり考察したりしている祝辞。
東大発表の全文はこちらです。:平成31年度東京大学学部入学式 祝辞
「祝辞にふさわしくない」、「入学式で言うことか」と言う趣旨の批判が多いようでしたが、個人的には、今後の大学生活とその後の長い人生における自覚を促す、とても良い祝辞だと思いました。
実に10カ月ぶりの更新は、東大入学式での上野千鶴子さんの祝辞についてです。
入学式当日から賛否を呼び、色々な人がコメントしたり考察したりしている祝辞。
東大発表の全文はこちらです。:平成31年度東京大学学部入学式 祝辞
「祝辞にふさわしくない」、「入学式で言うことか」と言う趣旨の批判が多いようでしたが、個人的には、今後の大学生活とその後の長い人生における自覚を促す、とても良い祝辞だと思いました。
またしても長く更新に間が空いてしまいました。
この間色々ありましたが、筆者は兼ねてから同棲していた方と結婚しました。
一部の人への配慮から結果は書けないのですが、夫と私のどちらの姓を名乗るかでひと悶着ありました。
これから入籍する人々のために、周囲からの色々な反応を中心として、状況を少し記録しておこうと思います。
まず大前提として、当人二人の間では、私の姓(妻の姓)を名乗ることで納得していました。私が泣き落としをしたわけでもなければ、特に感情的に訴えたつもりもないです。
最近レビュー続きでしたが、今日は観念的なお話をしたいと思います。
このウェブサイトに何度か来てくれている方ならご存知かもしれませんが、私はここに併設する形で保護猫ブログも運営しています。
「動物愛護」をもっと多くの人が身近な問題として考えてくれるようになれば、との思いで、自分なりのアプローチでゆるい啓発活動のつもりでやっています。
そしてここでも5回にわたって「保護猫を迎える」と題した連載記事を書きました。
これはとても個人的な話です。
私は日本で夏を過ごすのは3年ぶり、近畿圏で夏を過ごすのは4年ぶりです。
去年も一昨年も年中快適気温のナイロビにいたので、昨年暮れに帰国した時から、日本の梅雨と夏には正直恐々としていました。
19歳で初めて海外に出てから、その後10年間ほどは出たり戻ったりを繰り返したので、過去10年について言えばだいたい日本で過ごした時間と海外で過ごした時間が半々くらいになります。
出張でルワンダの首都キガリにいます。
自宅にはテレビがないのでテレビを見る習慣はないのですが、出張中はホテルの部屋にテレビがあるので、この週末は久しぶりにテレビを見て過ごしています。
今日は朝からフランスでマクロン大統領の就任式が行われていたので、BBCの中継を見ていました。
史上最年少でフランス大統領に就任したマクロン氏は39歳。BBCでは何度も彼の年齢を引き合いに出し、彼の若さを強調していました。
この記事はアフリカに関するステレオタイプ(前編)-統計が覆い隠す現実-の続きです。
前編冒頭で触れた開発関連の実務家や私の友人が言うように、なんらかの統計上でアフリカ人が知能で他の人種に劣ったとして、それは何を意味するのでしょう?
まずは、統計の取り方に問題があります。
例えば英語で試験を行ったのであれば、当然英語力の高い人の結果が良くなる。言語の問題を取り除けたとして、受けてきた教育のレベルが反映される。教育のあまり関係ない、知恵を問うような問題だったとして、我々が真理と信じるものを世界中の人間が真理と信じているかはわからない。
西洋的世界観を前提とする試験を受けさせているとすれば、それは、違う真理の元で生きる人々に試験の作成者の真理を押し付けていることに他ならないのです。
彼らは彼らの真理が唯一無二の真理だと考えているわけですが、実際、アフリカには非科学的(=非西洋的)世界観を真理として信じる人もいるのです。
彼らの世界で共有されている真実を、外部の人間が真実でないと言えるでしょうか。
それが非科学的だから?では科学が真実だとなぜ言い切れるのでしょう。
これは2013年6月、私が英国の大学院に通っていたころ、修士論文を書き終えたタイミングで執筆した文章に一部修正を加えたものです。(写真もなく文字数が多いので2回の投稿に分けています。)
アフリカに対しては日本で、そして世界で、かなり偏ったステレオタイプ的な見方がまかり通っています。アフリカ出身の友人たちと一緒にアフリカについて学んだ個人的な経験に基づき、私はそれを正面から批判します。