アフリカ回想録② 仕事の原点 エチオピア-2010年

/ 7月 9, 2017/ アフリカ情報, 世界/日本社会情勢, 国際協力

シリーズ化するつもりで始めたのに随分間が空いてしまいましたが、アフリカ回想録エチオピア編の2回目です。

1回目の記事はこちら→アフリカ回想録① 私の愛しい国、エチオピア-2010年

前回に引き続き、2010年に現地で撮影した写真を交えながら、今回は私のアフリカとの出会いとなったエチオピア出張を振り返ることで、現在に至るまでのキャリアの原点についてお話ししたいと思います。

2010年11月、私が23歳の時に、当時勤めていたODA専門商社の業務でエチオピア出張の機会を得ました。

これが私にとって初めてのアフリカ渡航であり、その後今日まで関わり続けることになる「アフリカ」との出会いでした。

地方へと続く幹線道路では多くの人と動物に出くわす(2010年11月筆者撮影)

ODA専門商社といってもぴんとこない人が多いと思うので、少し説明します。

ODA(Official Development Assistance:政府開発援助)、簡単に言うと日本政府による開発途上国支援ですが、それにはいくつかの形態があります。そのうちの無償資金協力や技術協力といわれる支援事業では、大小用途様々な機材をプロジェクトの一部として被援助国に無償提供するのが一般的です。

ODA専門商社というのは、こういった支援事業の機材調達と輸送部分を担う存在です。総合商社と違って、ODA事業以外の取引を行わないので、ODA専門商社と呼ばれます。

 

余談ですが私は大学生の頃の就職活動がいまくいかず(というか今思えば自分の将来がまるで描けていなかったのですが)、唯一内定をくれた地方企業でもやっていける気がせず、大学4年の秋に内定を辞退してしまい、大学卒業後は晴れて大卒フリーターになりました。

東京に住んでいたので仕事には困らず、昼と夜で二つの仕事を掛け持ちして暮らしていました。当時MBA留学を志していたので、お金を貯められればとりあえずそれでいいと思っていました。

ですが、そんな生活を数か月続ける中で、やはり一つの会社で経験を積むべきではなかろうかと思うようになり、ハローワークに通い始めました。そこでたまたま見つけたのがこのODA専門商社の仕事でした。大学時代に1年留学したこともあり、国際的な仕事、特に国際協力に関わる仕事をしたいと思っていたので、この募集は私にぴったりでした。

面接の感触はよくありませんでしたが、後々聞いた色々な話から察するに、社長の一押しで採用されたようです。社長が何をもって私に期待してくれたのかはわかりませんが、私にちゃんとした社会人になる扉を開いてくれた社長には感謝しかありません。

曲がりくねる坂道でトラックが横倒しになり立ち往生、大型車の行列ができる(2010年11月筆者撮影)

そんな経緯で入社後、数か月して私の教育係を務めてくれていた女性社員の方が退職してしまい、その方が担当していた業務の一部を私が引き継ぐことになりました。それがエチオピア事業でした。

アフリカ各地にTVET(Technical and Vocational Education and Training )と呼ばれる職業訓練校があり、JICAを通して日本政府もよく支援をしています。このエチオピア事業は、エチオピア各地にあるTVET9校に対して職業訓練用機材を提供するものでした。

機材は実験用試薬から大型の自動車部品カットモデル、ポンプ、施設用の発電機や車両に至るまで様々でした。これらを国内外から調達し、現地に輸送して地方に散らばる9校に届けるまでが仕事です。

現地で配送の調整をして引き渡しを行う目的で、2010年11月に現地入りしました。最初は上司も一緒でしたが、1週間もしないうちに帰ってしまい、あとはパキスタン人のエンジニアと二人でした。

首都で機材の受け取り機関である某省の関係者と調整を行った後、地方に点在するTVETを巡る旅が始まりました。運転手付きの四駆車を借りて、まず南東へ、それから北へ。

 

場所によっては、TVETは本当に何もないところにぽつんと建っていたりするので、宿の選択肢も少なく、当然食事の選択肢も多くありませんでした。

今でこそインジェラは問題なく食べられますが(決して好物ではありませんが)、当時はまだあの酸っぱさに慣れず、地方で毎度出くわすインジェラかゆですぎのスパゲティかという2択で、たいていは後者を選んでいました。

当時も今も山羊肉が苦手なので、首都に戻ったある時、日本人の元エチオピア青年海外協力隊員の方にベジタリアンメニュー(バイヤイネット)を教えてもらってからは、こればかり食べるようになりました。

エチオピアでは断食日が毎週一日か二日あって、その日は肉や油など動物性のものを口にしないことになっています。バイヤイネットはもともとはこの断食日に食べるメニューのようです。

バイヤイネットと呼ばれる断食日のメニュー。インジェラに色々な非動物性のソースや野菜が載っている

ちなみに私が今までで食べた最もまずい食べ物は、この時にエチオピア北部の小さな町で食べた野菜スパゲティです。味がほとんどなくて、途中から「これは脳が食べ物として認識していないな」という感覚を覚え、半分も食べられなかったように記憶しています。

(スパゲティがそこまでまずくなるというのは日本人には想像しがたいのですが、食べ物がおいしくないことで有名な英国で1年ほど過ごした後も、私にはこの時のスパゲティが変わらず美味しくなかったナンバーワンであり続けています。)

当時はまともに食べられず辛い思いもしたかもしれませんが、今となっては全て良い思い出です。地方都市とも呼べない辺鄙な場所を短期間で巡る機会など、国際協力の世界にいてもそうそう得られませんので、とても貴重な経験をさせてもらったと思っています。

 

事実、この時に見た美しい景色や人々の活気が忘れられず、現在に至るまでアフリカと関わり続けることになったわけですから、この時のエチオピアでの体験はまさに私のキャリアの原点と言えます。

はじめて社会人として働く中で、取引先へのメールの書き方やエクセルの基本機能といった基礎的な実務能力を身に着けたのもこの会社にいた時期でしたし、それ以上に、途上国で仕事をするということを肌身で体験できたのが23歳のこの時期でした。

1か月半に及んだエチオピア出張では、現地で1人で動かなければいけなかった上に、日本との時差もあったので、自分で考えて行動するということが身につきました。

この会社で学んだことは、失敗したことへの反省も含めて、その後現在に至るまでの私の全ての仕事の基盤となりました。

 

前回以上に自分語りの回になってしまいましたが、エチオピア回想録はまだまだ続きます。

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