アフリカ回想録③ 再びこの地へ、エチオピア-2013年

/ 7月 16, 2017/ アフリカ情報, 世界/日本社会情勢, 国際協力

この記事はアフリカ回想録エチオピアシリーズの3回目です。

1回目の記事はこちら→アフリカ回想録① 私の愛しい国、エチオピア-2010年

2回目の記事はこちら→アフリカ回想録② 仕事の原点 エチオピア-2010年

今回は2013年に二度目に訪れた時のお話をしたいと思います。

考えてみれば、一つの国に2回以上別の用件で訪れたのは、エチオピアが初めてだったように思います。同じ仕事をしている時に何度も出張に行くことはもちろんありますが、全く別の用で2度以上訪れた国は、今のところエチオピア以外になさそうです。

 

時は2013年3月。

私は英国に住み、修士課程の途上にありました。

私が入ったアフリカ研究のコースに日本人は私以外おらず、30人ちょっとのクラスの中にアジア人は私と中国人の女性のたった2人でした。

短い9か月の修士コースでしたので、前年10月に始まった1学期を終え、クリスマス休暇を挟んだ2学期も終え、残すは論文執筆と試験のみ、という段階でした。

首都アディスアベバと南西部を結ぶ道を行く

修士課程に進学する前に西アフリカのナイジェリアで1年ほど仕事をしていたので、最初は論文もナイジェリアのことを取り上げようと思っていたのですが、いかんせん治安の不安定な国でしたので、安全対策にお金をかけられない学生にはなかなか難しいものがありました。

そこで、2010年に渡航経験のあるエチオピアを修士論文の調査対象地域に選びました。

私は学部のころ卒論を書いていないので(2年次から3年次にかけて留学していたので、そもそもゼミに入るプロセスに乗れなかったのです)、論文と呼ばれるものを書くのはこれが初めてでした。

そんなわけなので、私の研究テーマの決定に至る経緯は、たぶん本来あるべきものとは随分違ったでしょう。

指導教授は絵にかいたようなイギリス紳士で、現在はナイジェリア南東部をフィールドにする文化人類学者ですが、学術界に足を踏み入れる前は国際NGOに所属してエチオピアで仕事をしていたこともある人でした。

要領を得ない私の論文執筆に辛抱強く優しく付き合ってくれた先生には感謝でいっぱいです。

エチオピア南西部の集落で。鮮やかな自然の中で草を食む牛

論文以外に、1学期と2学期にはいくつか授業がありましたが、私はこの先生が大好きだったので、特にこだわりもなくこの先生の授業を選択しました。それは西アフリカの文化と社会についての授業で、私の論文の内容とは何の接点もありませんでしたが、文化人類学のおもしろさに触れることができたので、選択して良かったと思っています。

アフリカに関わる日本人はよくブラックジョークのようにアフリカの呪い(Witchcraft)に言及しますが、私はこの授業を通して呪いという行為の背景や社会的な意味を考えるようになったので、間違っても冗談のネタにはできません。

業界を問わず、仕事でアフリカと関わる外国人(非アフリカ出身者)の多くと私を隔てるものがあるとしたら、それはこうした学術的な理解であると思っています。理解というのは知識という意味もありますが、それ以上に、一見奇異な文化にもその社会の成り立ちに沿った妥当な背景がある、という前提を持って接する態度みたいなものです。

これは決して私を楽にしてはくれないけれど、自分の強みであると信じているので、修士課程の専攻にアフリカ研究を選択したことには一つの後悔もありません。

積み上げられたコーヒー豆の袋の上で、大人たちの豆の選別作業を見る女の子

そんな充実した修士課程の集大成とも言うべき修士論文を書くため、2013年3月から4月にかけて再びエチオピアを訪れました。

調査対象に選んだのはJICAの某プロジェクトだったので、まずは首都でJICA関係者への聞き取りを行い、その後に事業地である南西部へ向かいました。

2010年に訪れた時にお世話になった現地代理店を通じて運転手付きの車を借り、今回は道連れもなく運転手と二人きりで陸路を移動します。

首都を離れて農地に挟まれた道を走っていると、自然に自分の今後のことを考えていました。

その時に書いたブログ記事があるので、備忘までにここに貼っておきます。この時は私は26歳になったばかりでした。

http://sjinnigeria.blog100.fc2.com/blog-date-201304-1.html

文面から察するに卒論以外の色々なことを考えては悩んでいたのでしょうけれど、こうやって自分を取り巻く色々なことに思いを巡らせる機会は、社会人として毎日忙しなく働いていてはなかなかできないことです。

社会人に戻った今読み返してみると、自分で書いたことながら、あたらめて発見があるように感じます。

南西部の町の中心部で。人と動物と機械が美しく調和して社会が成り立っている

9カ月の修士課程は、ある意味では毎日会社で働く以上に厳しい経験でしたが、その中でもこのように心にゆとりを持てたのは、この時に見たエチオピアの雄大な景色のおかげだったのかもしれません。

際限なく広がる農地、その奥の地平線、時折現れる家畜の群れとそれを率いる子ども、大きな荷物を背負った女性、痩せた駱駝を曳く男性。

この国で見たものはどれも日本やイギリスでは見られない美しく鮮やかな「生」でした。

人々が日々を一生懸命生き、動物がそれを支え、大地と天水が全てを決定するような、そんな景色。

端的に言葉で表現するのは難しいけれど、私を惹きつけてやまないアフリカの姿とは、この生々しいまでの生命感です。

アフリカのどこかにこうした世界が広がり続ける限り、私は何らかの形でその一部になりたいと思うのです。

エチオピアにはきっとそんな景色がまだまだ残されているから、きっと私は再びこの地へ帰るでしょう。

それは救世主のふりをして主観的な正義を押し付けるためではなく、一部の人間を喜ばせるだけの浅はかな成功をもたらすためでもなく、ただ私の愛するものと共にあるために。

 

(この記事で使用した写真は全て、筆者が2013年3月~4月にエチオピアで撮影したものです。)

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