上を向いて咲く -東アフリカの小国ルワンダ、悲劇の歴史と「奇跡」の成長-

/ 5月 6, 2017/ アフリカ情報, 世界/日本社会情勢, 国際協力

みなさまこんにちは。

私が今携わっている日本政府資金の国際協力事業、舞台は東アフリカのルワンダです。

ルワンダと言えば、おそらく日本の皆様の多くが最初に思い浮かべるのが、1994年のジェノサイド。「ジェノサイド」という言葉が一般的に認知されるきっかけとなった壮絶な悲劇の舞台です。

あるいは、ビジネス界の方々を中心として、もっと前向きな印象をお持ちの方も増えているかもしれません。

前述のジェノサイドの後、現在に至るまでにまだ20年少ししか経過していないわけですが、その間にルワンダは「アフリカの奇跡」とも称される目覚ましい復興と経済発展を遂げました。

現在は特にICT(情報通信技術)分野に力を入れて積極的に海外からの投資を呼び込んでおり、アフリカ屈指の治安の良さや、英語が公用語であるなどの諸要因も手伝い、日本企業の進出もどんどん進んでいます。

悲劇的なジェノサイドという極端に暗いイメージと、「アフリカの奇跡」という言葉に集約される前進的で明るいイメージ双方を併せ持つ国、それがルワンダです。

 

私が初めてこの国を訪れたのは今年の2月でした。

過去にもいろいろなアフリカの国に渡航したり駐在したりしてきた私にとって、ルワンダはアフリカ9か国目の訪問国であり、最初からなにか特別な国ではなく、基本的には今までに見てきたアフリカ諸国との比較対象でした。

個人的な印象や見方を書くのはまた別の機会に譲るとして、私は大学院で人類学者の先生の指導を受けていたバックグラウンドもあり、やはり現在のめざましい発展や都市の活気よりも、この国がたどった歴史的な経緯やそれが人々の意識や社会構造に残した遺産に関心が向きます。

 

虐殺記念館の敷地内で。

そういうわけで、仕事から解放された週末には首都キガリ市内の虐殺記念館を訪れました。

ルワンダには、全土に虐殺記念館が存在します。多くは1994年に虐殺の舞台となった教会や学校の跡地で、場所によっては遺骨を虐殺が起きた時そのままの状態で展示しているところもあります。

今回はあまり時間もなく、それ以上に、まずはルワンダ政府がジェノサイドをどのように説明しているのか知りたかったので、政府によって首都に設置された記念館を訪れました。

ゲートでまず短いビデオを見せてもらいます。虐殺生存者の証言ビデオです。

ここで現在を生きる生存者の生の声を聞いたあと、館内の展示(植民地化以前からのルワンダの歴史に始まり、1994年以前の関連事件の記録、ジェノサイド直前~ジェノサイド進行中の国内外の報道、そして虐殺の写真・映像など)を見て回ります。展示の最後には、虐殺現場から回収された犠牲者の衣類や持ち物、そして遺骨が展示され、ゲートで見たのと同じような、生存者らの証言ビデオが再生されています。

2階には世界のジェノサイド展があり、ナチスドイツのユダヤ人虐殺やトルコによるアルメニア人虐殺など、世界でこれまでに起きたジェノサイドについて学ぶことが出来ます。

そして2階のもう一つの展示は、虐殺で無慈悲に命を奪われた子どもたちの展示です。生前の写真、死亡時の年齢、好きだったこと、最後の言葉、そしてどのような形でその生涯を閉じたかといった内容が、ひとりひとりのパネルに記録されています。

正直、真面目に展示を見て回ると胸いっぱいになってしまいます。

展示を見終えて外に出ると、よく手入れされた広い敷地が広がり、奥へ進むと犠牲者の墓地が、出口側に進むと犠牲者の名前を刻んだ追悼記念碑が建っています。

 

虐殺犠牲者の名前を刻んだ追悼記念碑。膨大な数の名前が刻まれた碑が並ぶ。

私がルワンダを訪れる前、アフリカを含む世界の色々な国で仕事をしてきた人が、ルワンダは自分が見てきた中でも一番と言っていいほど難しい国だと言いました。

2月の短い滞在では、私にはまだまだその意図の全貌は見えませんでしたが、難しい国だということは漠然と掴めました。

ルワンダの人々はなかなか人に心を開かないとその人は言いました。ルワンダで仕事をした人の多くは、ルワンダ人気質は日本人のそれに近いと言いますが、共通しているのはそういう部分なのかもしれません。

私が日本以外で一番長く住んだ国はルワンダと同じ東アフリカのケニアですが、ケニアとルワンダでは人々の雰囲気がまるで違います。

ケニアでは感情をむき出しにして詰め寄って来る人々に日々頭を抱えたものでしたが、ルワンダではそういう苦労はなさそうです。そのかわり、もっとずっと対応が難しい類の苦労をすることになるのかなあと、ぼんやりと覚悟をしています。

ケニアの人々が湛える笑顔と笑い声は、深く青い空を背景に咲き乱れる色とりどりのブーゲンビリアの花のように、カラリと渇き、心の底から響いてくるようでした。

ルワンダのそれがどのようなものなのかは、私にはまだ見えないのですが、いくぶん慎み深く、湿り気を帯びたものなのではないかと感じています。

この記事の中央に掲載した写真は、キガリの虐殺記念館で撮影した花です。日本では見たことがなく、私にとっては名前も知らない花です。

綿毛のような形をした鮮やかな朱色の花。

一つ一つの花が、どれも懸命に、空を仰ぐように上を向いて咲いていたのが印象的でした。

悲劇から立ち直り、奇跡と呼ばれる道を歩むルワンダ。

確かに地に根を張りながら、上を上を向いて鮮やかに進む、この国にふさわしい美しい花でした。

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