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善人たちの原理主義 -排他的な正義は社会正義の芽を摘む-
最近レビュー続きでしたが、今日は観念的なお話をしたいと思います。
このウェブサイトに何度か来てくれている方ならご存知かもしれませんが、私はここに併設する形で保護猫ブログも運営しています。
「動物愛護」をもっと多くの人が身近な問題として考えてくれるようになれば、との思いで、自分なりのアプローチでゆるい啓発活動のつもりでやっています。
そしてここでも5回にわたって「保護猫を迎える」と題した連載記事を書きました。
保護猫を迎える⑤ 「猫ブーム」でなく社会変革を
この記事は「保護猫を迎える」シリーズの連載5回目です。
1回目の記事はこちら→保護猫を迎える① 猫と育った経験から
2回目の記事はこちら→保護猫を迎える② 殺処分と動物愛護
3回目の記事はこちら→保護猫を迎える③ 保護猫を迎えるまで
4回目の記事はこちら→保護猫を迎える④ 猫を飼いにくくする社会
今回は4回目の記事で指摘した、猫を飼えない状況を作り出す社会をどういう方向に変えていくべきなのか考えを述べるとともに、猫ブームなる風潮についても考えます。
保護猫を迎える③ 保護猫を迎えるまで
この記事は「保護猫を迎える」シリーズの連載3回目です。
1回目の記事はこちら→保護猫を迎える① 猫と育った経験から
2回目の記事はこちら→保護猫を迎える② 殺処分と動物愛護
今回は、保護猫活動と、保護猫を家に迎えるまでの流れについて、私の体験に基づいてご紹介します。
保護猫活動
個人レベルでの動物愛護活動の最たる例として、個人で捨て猫や野良猫を一時的に保護し、里親を探す活動を行っている人々がたくさんいます。このような個人、ないしは同じような活動を組織で行う動物愛護団体等によって保護された猫を、一般的に「保護猫」と呼びます。
保護猫を迎える② 殺処分と動物愛護
この記事は「保護猫を迎える」シリーズの連載2回目です。
1回目の記事はこちら(→保護猫を迎える① 猫と育った経験から)からご覧ください。
1回目の記事でお話した通り、私は生まれた時から猫と育った背景から、動物を飼うことに伴う責任の重さや、死と向き合わなければいけない重圧を自然に学んでいました。
それと同時に、ペットとして迎える動物はペットショップで買うものではなく、人から譲ってもらうもの、という認識が、幼少期の体験を通してできあがっていました。
保護猫を迎える① 猫と育った経験から
姉妹サイト「ひざねこ」で紹介しているとおり、我が家には保護猫がいます。
今日から数回に分けて、この猫うたまるを迎えた経緯や日本の動物愛護についてお話したいと思います。初回の今日は、猫にまつわる私の生い立ちについてお伝えします。
私は生まれた時から猫と一緒でした。
猫のいる家に生まれ、兄弟のように猫と一緒に育ちました。
白サバ模様の雄猫で、私が物心つく頃にはすでに10歳を超えていたので、落ち着いた優しい猫でした。名前をネロといいました。「フランダースの犬」のキャラクターから取った名前だと聞かされました。