保護猫を迎える① 猫と育った経験から

/ 4月 19, 2017/ 保護猫・動物愛護

姉妹サイト「ひざねこ」で紹介しているとおり、我が家には保護猫がいます。

今日から数回に分けて、この猫うたまるを迎えた経緯や日本の動物愛護についてお話したいと思います。初回の今日は、猫にまつわる私の生い立ちについてお伝えします。

 

私は生まれた時から猫と一緒でした。

猫のいる家に生まれ、兄弟のように猫と一緒に育ちました。

白サバ模様の雄猫で、私が物心つく頃にはすでに10歳を超えていたので、落ち着いた優しい猫でした。名前をネロといいました。「フランダースの犬」のキャラクターから取った名前だと聞かされました。

私が小学校にあがる前だったか、ネロが亡くなりました。16歳、当時としてはなかなかの長生きでした。ネロが亡くなった時のことはよく覚えています。

高齢で弱っていて、もういつお迎えが来てもおかしくないだろう、ということになり、毎日心配して過ごしていました。

ある晩、わたしがお風呂から上がると、ネロは天に召された後でした。

看取ってやれなかったのが悔しかったのか、「わたしがお風呂なんて入らなければ」と泣きじゃくりました。次の日ちゃんと幼稚園に行けたのかどうかは覚えていません。あるいは、幼稚園にも入る前だったのかもしれませんが、時期を正確には覚えていません。

鮮明な記憶としてあるのはお風呂上りにたくさん泣いたこと。それが私にとって初めての「死」との対面でした。

1、2年猫のいない生活が続きましたが、もともと猫好きの両親でしたから、また猫を迎えることになりました。地域誌に広告を出している一般の人から子猫を譲り受け、今度は雌猫が我が家にやって来ました。家族そろって子猫を選びに行きましたが、わたしが「女の子がいい」と言って選んだように記憶しています。

ほどなくして今度は同じようにして雄猫を譲り受け、やがて雌猫は子猫を生みました。最初は2匹、次は3匹、4匹、5匹、6匹。5回出産したところで母猫に避妊手術を施しました。
生れた子猫のうち3匹を家に残して、他の子猫は人に譲りました。ただし、生後数週間で亡くなった子猫が3匹いました。亡くなった子猫の亡骸は小さな箱に入れて、花をたくさん添えて、ネロの眠っている場所の近くに埋めました。乳離れもしない頃に亡くなったので、母猫から離れることもほとんどなく、私にとっては思い出というほどの思い出もありません。それでも名前だけはどうしてもつけてあげたくて、それぞれの猫の容貌を反映した名前をつけては、弱っていく子猫の名前を繰り返し心の中で呼びました。

私にとって猫は、そばにいて当然のような身近な存在でありましたが、その死はいつも、乗り越えがたい苦痛でした。

家に残した3匹の子猫は親猫たちと一緒にすくすく成長し、私は5匹の猫に囲まれて暮らしました。

5匹の猫は皆違った毛色をして、金、緑、青の美しい目をしていました。別の家庭に譲った子猫たちも含めて考えると、体の白っぽい猫は青い目、茶色っぽい猫は緑の目をしていることが多かったように記憶しています。

マンションの一階に住んでいたので、夏には器用に網戸を開けて脱走する猫もいました。そのたびに家族で手分けして探しに行き、連れ戻しました。

母親の友人が飼い猫を連れて遊びに来た時にその猫からノミを移され、5匹の猫の体でノミがみるみる繁殖し、私自身も体中ノミに食われた時期もありました。

私の成長と同時に猫たちも齢を重ねます。私が中学生の頃、一匹が病気になり、衰弱し、別れの時を迎えました。私が大学進学で故郷を離れ、そのまま東京に居着いている間に、残りの猫もみんな旅立ってしまいました。

猫との別れは変わらず辛かったけれど、それはただ来るべき時の到来であり、受け入れるのに苦心することではなくなりました。

このようにして私は猫と育ち、猫の誕生と成長を間近で見る機会に恵まれ、猫の死と何度も向き合いながら成長しました。

大学生の頃、家庭教師として、中学に上がったばかりの女の子に勉強を教えていました。ある日その子が「友達とふたりで猫を飼おうと話しているの。親には内緒なんだけど」と教えてくれた時、大人げないかもしれませんが私は反射的に「中学生だけで、親に隠しながら猫を飼うなんて無責任だよ」と冷や水を浴びせました。

結局その子は猫を飼うことはありませんでした。

私は幼少期から猫と暮らす中で、直感的に「動物を飼う」ということに付随する責任の重さを理解していたのだと思います。だから、軽い気持ちで(たとえば「かわいいから」というだけの理由で)猫を飼って欲しくなかったのです。

大人になって、仕事を変えて日本に腰を落ち着けることが可能になった時、「これなら責任を持って世話ができるから、いよいよ猫を飼いたい」という思いは自然に湧いてきました。そして、それはそのまま「保護猫を迎える」ということでした。幼少期の経験から自然に、私にとって猫はペットショップでお金を出して買うものではなく、貰い手を探している人から譲ってもらうものでした。

ただ、「保護猫」という概念は私の幼少期にはまだ定着していなかったので、猫を譲ってもらうということと保護猫が結びついたのは、以前働いていた団体の活動の影響が強いです。

その団体での経験は、次回の記事でご紹介できればと思います。

 

(今日の記事の写真は、1枚目が今一緒に暮らしているうたまる、2枚目が5匹の猫と暮らしていた頃の母猫、3枚目がその5匹のうちの末っ子です。末っ子が余命いくばくもないと連絡を受けて東京から会いに帰った時に撮影したものです。)

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