南スーダンはどこへ向かうのか -内戦、飢饉、「ジェノサイド」-

/ 4月 17, 2017/ アフリカ情報, 世界/日本社会情勢, 難民

国連平和維持活動(PKO)に参加している自衛隊施設部隊が来月5月に完全撤退する南スーダン。

日本では、主に自衛隊派遣という切り口で話題になる国ですね。

2011年7月にスーダンから独立した世界で一番新しい国ですが、2013年末には内戦が勃発。停戦合意をめぐる交渉は二転三転し、2016年7月には首都での暴力行為が再燃し、日本人を含む外国人が一挙に撤退しました。これ以降も自衛隊は現地で活動を続け、日本政府は一貫してPKO五原則は守られていると主張してきましたが、「区切り」を理由に2017年5月末で自衛隊を撤退することが発表されました。

そんな南スーダンは、現在国家として危機的な状況にあります。

私は2015年に二度、この国を訪れました。国内避難民(安全の為に家を離れ、国内の避難民キャンプ等で避難生活を送っている人々。国外へ避難した「難民」に対し、国内で避難生活をしている人々をこう呼んで区別します。英語でInternally Displaced Person(s)、略してIDP(s)と呼びます)への支援のためです。

内戦は、大統領と元副大統領各々の部族(ディンカ族とヌエル族)の対立で説明されることが多いです。現代の内戦において、そんな単純な構図で語ることのできるものはそうそうないとは思いますが、もう一方の部族の構成員に対する殺戮や暴力行為が蔓延しているのは事実です。

ここ数か月は南スーダン国内各地で飢饉が広がり、さらに政府軍による支援活動の妨害で人道危機が悪化していることが、世界での南スーダン関連の報道の中心でした。

飢饉は天候不順による「天災」というより、人々が家や畑を捨てて避難したことで農作業ができなかったことによる「人災」と言われています。食糧不足にあえぎ、栽培用に保存している種子を食べることを余儀なくされている人々もいると報道されています(出典:http://www.afpbb.com/articles/-/3124650?cx_part=topstory)。

国連は以前から、南スーダンがジェノサイドの危機に瀕していると警告を発してきましたが、2017年4月12日、南スーダンを訪問したイギリスの国際開発大臣は、その状況を「ジェノサイド」と呼びました。(報道一例:http://www.independent.co.uk/news/world/africa/south-sudan-africa-genocide-uk-priti-patel-un-violence-a7681361.html

同大臣は「これは部族的、絶対的に部族的(な虐殺)です。その意味で、これはジェノサイドです」と述べ、世界に先立って「南スーダンでジェノサイドが起きている」との見解を示しました。

この動きに世界が同調し、南スーダンでジェノサイドが起きていると認められることになれば、世界はルワンダでの反省を踏まえ、大きな決断をしなければいけなくなるでしょう。

避難生活や飢饉にあえぐ人々への国際社会からの支援は、政府ないし反政府勢力の妨害によって、どんどん人々に届けられなくなってきています。

2017年3月には、外国人労働者のビザを最大1万ドル(当月のレートで約115万円)に引き上げるなど、南スーダン政府は事実上国際社会の介入を排除するような動きを見せています(出典:http://www.afpbb.com/articles/-/3121071)。

人道支援関係者が故意に殺害される事件も頻発しています。内戦が始まった2013年12月以降からこの記事の執筆時点までの3年半足らずで、約80人もの国連関係者が南スーダンで命を落としています(出典:http://allafrica.com/stories/201704150206.html)。

自衛隊の撤退期限までにはまだ1か月半あります。

 

私が南スーダンの首都ジュバの国内避難民キャンプで出会った子どもたちは、避難生活の苦境の中にあっても人懐っこく、カメラを向ければ我先にとレンズの前に回り込んで思い思いにポーズを決め、私たち支援関係者に一時の安らぎを与えてくれました。

この記事で使用した3枚の写真は、いずれも私が2015年にジュバの国内避難民キャンプで撮影したものです。

この子どもたちが、今も無事でいるか。この屈託のない笑顔を忘れてはいまいか。

南スーダンは緊迫した状況にあります。

自衛隊の撤退が、日本人の南スーダンへの関心を今以上に希薄にするものであってはなりません。

 

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