書評:欧州に焦がれた青年の悲劇「空から降ってきた男」
明けましておめでとうございます。
年末年始はいつも以上に読書に時間を割き、のんびり過ごすことができました。
今回読んだ本のうちの一冊がとても印象的だったので、今回はその書評を書きます。
タイトルは「空から降ってきた男 アフリカ『奴隷社会』の悲劇」。著者は毎日新聞の小倉孝保氏。
(↓画像クリックでAmazonの商品ページに飛びます。)
Amazonのページに、あらすじを含めた丁寧な書評がいくつも並んでいますので、ここでは大まかな流れを振り返りながら私の思ったところを記録するにとどめ、細かい内容にはあまり触れずにおきます。
日本人にはあまり馴染みのない話ですが、アフリカから欧州へ渡ろうとして、駐機中の飛行機の主脚格納部等に忍び込む人は少なからずいます。
見つからずに忍び込むことができれば、あとは勝手に飛行機が離陸し順調に目的地に近づくことができますが、着地が近づき再び格納部が開く時には、低気温と低酸素で死亡しているか、或いは意識を失っている場合が多く、生きていても無意識のまま落下して死亡する例が多いようです。
本書によると、このような方法で渡航を試みた事例は、1974年以降、全世界であわせて96人に登り、そのうち73人が亡くなっています。
この本は、この方法でアンゴラからイギリスを目指して2012年9月にロンドン郊外に落下し、命を落としたモザンビーク出身の青年の話です。
新聞記者である著者がイギリス、スイス、モザンビーク、アンゴラでの取材で丁寧にことの経緯を追い、その発見に基づいて著者が見出した悲劇的なストーリーが描かれています。
一言で言えば、亡くなった青年ジョゼ・マタダは、一人のスイス人女性との出会いによって、アフリカ的なものから脱却して欧州で新たな人生を送ることを強く求めるようになり、徒労と焦燥の挙句に悲劇的な死を遂げたと言えると思います。
本は、ことの顛末を知るスイス人女性へのインタビューを中心に構成されています。
マタダ青年は、かつて出稼ぎ労働者として働いていた南アフリカの豪邸で、カメルーン出身の館の主の妻であったこのスイス人女性と出会い、彼らの置かれていた特殊な環境の下で親睦を深め、互いにとって特別な存在となります。
女性と夫との関係、女性と夫側家族たちとの関係、そしてアフリカでよく見られる嫉妬と告げ口と不信に満ちた生活環境。女性はこういったものに耐え切れず、はたから見れば駆け落ちのような形で、使用人であったマタダ青年と家を出ます。
その後、二人は女性の夫から逃れつつ、一緒に欧州へ渡ることを目指して、南アフリカからモザンビークへ、そして再び南アフリカへ逃避行を続けますが、マタダ青年がパスポートどころかその申請に必要な出生証明も取得することができない行政の無法状態に直面し、心身ともに追い詰められた果てに、女性だけが母親を頼って欧州へ戻ります。
家出から女性の欧州帰還まで、2人は約3カ月に渡って苦悩を共にしたのですが、結論から言えば、女性はその後ジュネーブに落ち着き、かねてから望んでいた夫との離婚を成立させ、そして南アフリカでのマタダ青年との別れから1年も経たないうちに、帰還後にジュネーブで出会った別の男性と再婚します。
女性は、マタダ青年との間に男女関係はおろか恋愛感情があったことも否定し、「弟のように思っていた」と強調しますが、著者のモザンビークでのインタビューからは、マタダ青年が女性を恋人と見なし、結婚を望んでいたことが明らかになっています。
女性は結婚後もマタダ青年へ送金を続け、彼が欧州へ来られるよう支援をします。
女性の新たな夫は、船で地中海を渡ったという西アフリカのガンビア出身の難民。その夫の難民仲間から「アンゴラ(アフリカ南西部)から欧州へ移民船が出ている」という情報を得た女性は、マタダ青年にアンゴラ行きを指示します。
しかし、辿り着いたアンゴラの地でマタダ青年がその身を託したのは、移民を運ぶ船ではなく、彼を死へと誘う飛行機の主脚格納部だったのです。
Amazonレビューで指摘されているルポルタージュとしての出来(要は取材の公平性など)についてはここでは何も書きませんが、そういう点を勘案しても、会話を主体とした叙情的なストーリーが大変ドラマチックに展開し、読んだ後はとても感傷的になりました。この事件を切り口として現代アフリカの病理を伝えようとする著者の真摯さと卓越した筆力については、誰も口を挟めないでしょう。
私は何度読んでもいいと思うくらいにこの本を気に入りましたが、少し気になったのは、そこここで無遠慮に顔を出す著者の主観でした。
著者は、女性とマタダ青年が男女の関係を結ばなかったという説明がどうしても腑に落ちなかったようですが、女性は敬虔なイスラム教徒でかつ既婚者、そしてマタダ青年も同じく熱心なイスラム改宗者で女性とは主従関係にあった、ということを考えると、どちらも安易に関係を求めることはできなかっただろうと私は思います。
もちろん女性が自分に都合の良い証言をしていた可能性は十分ありますが、あくまでその点に固執する姿勢には著者の世俗的な固定観念のようなものが色濃く表れており、結果的に、書き手としての中立性に若干の疑問を抱いてしまいました。
上の点にも関わりますが、マタダ青年にとって女性は「別世界への鍵」だったのだと私は思います。失えばおそらく二度とは手に入らない大事な鍵ですから、不用意に関係を迫るなどという危険を冒すはずがありません。
モザンビークの寒村に生まれ、出稼ぎ労働者としてまず首都マプトへ、そしてさらに高収入を得られる隣国南アフリカへ渡り、雇い主の豪邸で目の当たりにした物質的豊かさ。
彼が最後の帰郷で実家から自分の持ち物や写真を全て持ち去ったというエピソード。
そして、マプトのモスクで説教師に語ったという「僕に家族はいない」という言葉。
取材で明らかになったマタダの半生と最後の日々の行動から、著者は次のように分析します(233頁)。
マタダは家族との精神的なつながりを切ろうとしたのではないか。家族や親類、そしてふるさととの関係を切ることでしか、豊かさにたどり着くことはできないと感じたのではないか。貧困世界と別れて、何としてでも欧州に渡る。マタダの決意は固かったのだ。
逃避行でマプトに滞在中、一人で兄に会いに行ったマタダ青年は女性のことを「恋人」と話し、結婚したいと思っていると告げています。
かといって彼が女性に恋をしていたのかどうかはわからない、というのが私の感想です。
著者が語るように、マタダ青年が渇望したのは「豊かさ」であり、欧州は、彼がそれを手にすることのできる「別世界」であったのでしょう。そして、スイス人女性はこへ至るための「鍵」でした。
女性はカメルーン人の富豪と結婚していましたが、アフリカ的な家族のあり方やその中での女性の位置づけを受け入れることができず、結果的にそこから逃亡します。
マタダ青年はその苦悩を傍で見ていたはずなので、この女性と一緒になって欧州で暮らすためには、女性が嫌がるであろう「アフリカ的な家族」を捨てなければならないと考えたのかもしれません。
それが女性への愛情ゆえだったのか、奇跡的に転がり込んだ人生大逆転の好機にしがみつくための手段だったのかは、本人にしか(或いは本人にも)わからないでしょう。
著者はマタダ青年が女性に恋愛感情を抱いていたことを前提としているように読めましたが、私は上述のとおり、豊かさへの鍵ないしパトロンと見ていたのではないかと思います。
インタビューには、女性がガンビア人男性と再婚し妊娠したと聞いた後、マタダ青年は欧州行きをさらに強く(もはや手段を選ばず)望むようになったとあります。
これについて、著者はマタダ青年が自暴自棄状態になっていたと推測します。
一方、モザンビーク取材で著者の通訳をした現地ジャーナリストは、「手の届くはずのない存在」である白人女性が自分に愛情を示してくれたことで、マタダ青年は「一種の狂乱状態」で生きていたはずだ、と語っています(199頁)。
ジャーナリストは「彼はその女性と結婚したかったはずだ」とも語っていますが、少なくとも文中では、マタダ青年が「恋していた」とか、女性を「愛していた」とは言っていません。
マタダ青年にとって、女性が別の男性と結婚したことは大変な絶望であったでしょう。しかしそれは失恋ではなく、別世界への鍵を失ってしまうという焦燥だったのではないでしょうか。
結婚と妊娠を契機に女性の自分への関心が薄れていっていることを感じ、女性の支援を得られるうちになんとしても欧州へ渡航しなければ、と焦るあまり、欧州への道を急ぎすぎでしまったのかもしれません。
彼がアンゴラに着いた時、女性からの金銭的支援は既に心細いものとなっていたようです。
加えて、本でも指摘されているとおり、アンゴラの首都ルアンダは物価が高いことで有名です。公用語のポルトガル語が話せるとはいっても、正規のパスポートも持たない不法移民が自力で生計を立てるのはどの程度現実だったのでしょう。
モザンビークでのインタビューによると、彼はアンゴラへ向かったことを家族の誰にも告げていません。スイス人女性からの金銭的支援がなければ、もう故郷へ戻ることもできなかったのです。
家族思いだったマタダ青年が、モザンビークの家族や親類を自ら捨て去ってまで追いすがった鍵。
その鍵が、遠い陸と海の彼方に消えようとしている。
アンゴラでマタダ青年が誰とどんな話をしたか、或いはしなかったかは、誰も知りません。
万策尽きた果ての一世一代の賭けだったのか、或いは無責任な誰かにそそのかされたのかもしれません。
いずれにしても、彼は消えゆく鍵を失うまいと道を急ぎ、結果的に、焦がれ続けた欧州の土を踏む代わりに、その中に埋葬されることになったのです。
その後、遺族の強い希望を受けて、2014年6月、悲劇的な死から2年弱、そして最後の帰郷から実に3年を経て、マタダ青年の遺体は故郷へ帰ったそうです。当初イギリスで墓標もなく孤立した場所に埋葬されたマタダ青年は、今ふたたび故郷に戻り、家族の手によって世話をされているのです。
欧州に焦がれ、故郷を捨ててまで一人豊かさを目指した青年。悲壮な旅を終えた彼を気にかけて弔ってくれたのは、皮肉にも、彼が命を賭してまで振り払おうともがいた、アフリカの家族だったのです。
書評というより本の流れを追う形になってしまいましたが、この本は現代アフリカの様々な問題点をあぶり出した良書であり、読み物としても大変よくできていると思います。
既に述べたように、ノンフィクションとしては公平性や中立性に欠ける部分はありますが、日本人が目にしにくい現代アフリカの構造的な問題について知るには大変良い本だと思います。
ご関心のある方は是非手に取ってみてください。