知ることへの責任 -私が書くことを好む理由-

/ 7月 17, 2017/ 世界/日本社会情勢, 働き方, 日本社会情勢

これはとても個人的な話です。

私は日本で夏を過ごすのは3年ぶり、近畿圏で夏を過ごすのは4年ぶりです。

去年も一昨年も年中快適気温のナイロビにいたので、昨年暮れに帰国した時から、日本の梅雨と夏には正直恐々としていました。

 

19歳で初めて海外に出てから、その後10年間ほどは出たり戻ったりを繰り返したので、過去10年について言えばだいたい日本で過ごした時間と海外で過ごした時間が半々くらいになります。

飛行機に乗って日本に帰って来ると、よく「醤油の匂いがする」なんて言いますが、匂いを感知する前に、春~秋は機体から出た瞬間にむわっと迫って来る湿気を感じます。

それに気づいた頃から、私にとって日本とは「湿気の多い国」になりました。外国人に日本の気候について聞かれたら、大抵「夏は暑くて湿気が多くて最低、冬も冷えるし、いいのは春と秋だけ」と冗談を言います。

今まで30弱くらいの国・地域を訪れたと思いますが、日本の夏より不快な気候にはまだ巡り合っていません。(最も過酷だったのは夏に50度に達するイラクですが、不快さと過酷さは全然質の違うものです。)

 

それなのに、日本の気候しか知らなかった頃は、夏を不快だなんて夢にも思わなかったのだから、不思議なものです(もちろん暑いとは思っていましたが)。

日本以外で暮らしたことのない頃は、日本の夏がどういうものかなどわからなかったのです。だって比較ができなければ、客観視などできないですから。

当時の私にとって夏とは、日本の夏、とりわけ生まれ育った大阪の夏でしかなかったわけです。

つまり、「一つのことしか知らない」状態から「複数のことを知る」ようになることで初めて、最初に知っていた一つがどういったものであるか、その形を外から眺めることができるということでしょう。それが相対化、ないしは客観視ということなのでしょう。

 

時は流れて、私は修士課程で地域研究を選択しました。

英語でInterdisciplinary Area Studiesと言うので、日本語に直すと「学際地域研究」になると思いますが、学際的というのは「異なった学問分野にまたがる」という意味です。

政治学、人類学、歴史学、開発学などの学問分野に縛られず、ただ特定の地域について学ぶところです。指導側も、政治、歴史、人類学など分野横断的な人員を揃えていました。研究対象国や学問的アプローチを考慮し、学生は各々の研究計画に合った指導教授に師事することができます。

当時その大学には地域研究の博士課程は存在しなかったので、修士課程の後にそのまま研究を続けたい場合には、自分の研究内容に沿って学問領域を選択する必要がありましたが、最近になって地域研究の博士課程が開設されただか近々開設されるだかと聞いていますので、もうその縛りもなくなったということになります。

学際地域研究とは、こうした意味で、多角的な学問的視点から特定地域について考察するものです。すごく大まかに言ってしまえば、たとえば政治学者と人類学者の全く異なる知見をそれぞれ掘り下げ、俯瞰的な視点から統合して何か新しいものを提示できる可能性をもつもの、と私は考えています。

それは必ず、客観視と相対化を前提とするプロセスです。

 

本当の意味でものごとを「知る」というのは、客観視と相対化を経なければできないことではないかと私は思います。

我々が宇宙の形を知る術がないように、外に出て外から眺めるというプロセスを踏まなければ、結局どうやったって一面的な(つまり内側から見た)理解しかできない、と。

世の中には多様な情報があふれているけれど、こうしたプロセスをきちんと経た情報はいったいそのうちのどのくらいなのでしょう。

誰かが発した主観的で歪んだ情報が、その人の知名度や肩書の力によって流布され定着していく。

知らないことを知らないと言わず、どこで仕入れたかわからないいい加減な情報に基づいて何かを知っているように振る舞う人がいる。

自分の認識に拘泥し、他者の意見に聞く耳を持たない人がいる。

これは例えではなくて、どれも日常的に起こっていることです。

 

私は昔から勝手なイメージを押し付けられることが多かったので今さらそれを気にしてもいないけれど、往々にして私は高度な知識や議論を期待されていないし、それを可能にする経験を有しているという風には見られないということを、日本社会に戻った今とても強く感じます。

そういう勝手なイメージは大概は外見のイメージからくるものだと思うから、私はこうして文字で何かを語る方がずっと心地がいいです。

ここで文字だけを紡いでいれば、私の年齢も、性別も、容貌も、なにも私の言葉を歪めない。それはたぶん届くべき人にだけしっかりと届く。

ものごとを知ろうとするなら、そんな身勝手なフィルターは捨てなければいけないはずなのに、どうもそれはこの社会では至難の業のようです。

わかりやすい例を一つ上げるとすれば、まず性別というのは大きなフィルターですね。

日本では女性は長らく「父に従い夫に従い子に従う」存在だったわけなので、兎にも角にも主体性を認められていなかったということですね。

それが短い期間で抜本的に変わるはずもありません。ちなみに均等法の施行は1986年ですから、雇用に関する男女差別を撤廃する動きが始まってから、まだ30年ほどしか経っていないのですね。

 

ともあれ、性別その他色々なフィルターを通して情報をえり好みすることは倫理的に言えば不正義だし、倫理的な議論を置いておいても、そういう情報摂取をしていては本当の「知」にはたどり着けるはずがないと私は思います。

私は特定の業界では有名な大御所研究者の方の調査に関わったことがありますが、実地調査で出てきた情報とそれをまとめた発表内容の間にはちょっとした論理の飛躍がありました(というか、サンプル数が少なすぎて、何か一般化された結論を導き出せるような調査ではないと私は思っていたのです)。

私の目に飛躍として映ったそれは、おそらくその研究者の方のこれまでの研究成果や通説に基づいた推論だったのでしょうが、結果的にそれは定説を覆す結論を導き出していました。

けれども、発表を聞いた研究者や学生はみな、驚きはあったもののそれを興味深い新たな事実として受け入れていました。

私はそれを眺めていて、「もしこの発表を行ったのが私だったら、きっとこの結論を受け入れる人はいなかっただろう」と思いました。

学術界においてすら個人の実績や権威がフィルターとして情報を歪めるのなら、そもそも情報を吟味する術も持たない一般市民の間では、それは増幅する一方であろうと。

 

だから私は、ここで全てのイメージやラベルから逃れて、ただ思うままに頭の中にあることを文字にしていくのが心地よいのです。

誰の権威も借りず、全ての属性を放棄して剥き出しの個人として語れる場所、それが私にとってのこのウェブサイトです。

ある見方をすれば、私はここで何かを文字にして残す過程で、色々な断片的な情報を吟味し、自分の主観すらも相対化して、統合して何かを生み出す訓練をしています。

そしてまた別の見方をすれば、私はここで自分の頭の中身をさらけ出すことで、それに関心を払ってくれる人とつながりたいと願っています。私の属性や経歴や容貌でなく、ただ私の頭の中身に興味を持ってくれる人と。

今まで別の形でブログを書いてきた中で、数は少なくともそういう人たちと繋がることは確実に出来たので、たとえ今こうして文章を書いているその行為が暗闇に向かって語り掛けるようなものでしかなくとも、私はその未来の広がりを思ってとても満たされるのです。

 

何かを本当の意味で知るということは簡単なことではないはずです。

それは多角的な視点と俯瞰的な視野を必要とし、テレビや新聞を見ても、専門書を読んでも、現場に身を置いても、それだけでは到底不十分です。

当事者の話を聞き、反対者の意見を聞き、外部の様々な人間の意見を聞き、それでようやくおぼろげな全体像が見えて来るといったところではないでしょうか。

それは時間がかかることだし思考を要する作業だけれど、知識として何かを発信するのであれば、それは果たすべき責任だと思います。

自分が本当に知っていると主張できることしか知識として提示してはいけない。それ以外は、目で見た現象であっても自分の意見であっても、それはただの断片情報です。

断片情報なら掃いて捨てるほど溢れかえっていますから、私は知識を生み出すことに時間を割きたい。

という意識をあらためて自覚した上で、このウェブサイトをそういう場にしていければいいと思います。

 

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