わたしの働き方改革 社畜精神からの脱却、家族への希求、そして方向転換

/ 7月 2, 2017/ 働き方

更新にだいぶ間が空いてしまいました。

実は2週間ほど前にパソコンが起動しなくなり、自力で直すのに1週間近くかかったり(といっても時間を食ったのはデータのバックアップ作業だったのですが)、他にもいろいろ対応すべきことを抱えていたら、更新はおろかページを開くこともなく時間が過ぎていました。

定期更新を目標にしているのに、と反省している次第です。

エチオピアの連載を始めたところですが、その続きは次回に持ち越して、今日は働き方について言葉に残しておこうと思います。

 

昨今の日本では「働き方改革」という言葉をよく聞きますね。

副業ないし兼業を許容する企業が出て来たり、フリーランスという働き方が分野を問わず認知され始めたり。

私は大学院に行ったりもしていたのでまだ7~8年しか社会人を経験していませんが、転職を繰り返す中で自身の「働き方」については色々と考えを巡らせてきました。

結局のところ、「働き方改革」の本質は「ひとつの組織に囲い込まれる働き方から脱却する」ということなのかなと思っています。

定年まで勤続する終身雇用システムが崩壊して、女性も働くのが当たり前になって、非正規雇用が膨らむ現代の日本社会にあって、以前はたぶん「企業戦士」とか呼ばれていた企業勤めの人々は「社畜」と揶揄されるようになった。

この表現には正規雇用にありつけない人々の嫉妬も混じっているのでしょうが、企業に飼われる家畜のように愚直にタスクをこなす使い勝手のいい存在、というニュアンスでしょうか。

 

私自身のことを振り返ると、組織に勤めていた時分は、仕事が生活の中心でありほとんど全てでした。

特にNGOに所属して海外駐在をしていた頃は、日本にいる家族や友人との交流もバーチャルなものに限られてしまうので、日頃の交友関係すら、100%仕事を軸にしたものでした。

宿舎が事務所と一体だった時期もあるのですが、その時は自室を一歩出れば「仕事」の世界が待ち構えているわけですから、残業とか休日出勤という概念すら消え失せていました。時間と気力さえあれば仕事をするもの、というような感覚でしたし、周りを見渡しても同業者はだいたいそんな具合だったので、それに疑問を持つこともありませんでした。社畜精神が染みついていたのですね。

そんな就業感覚が変わったのは、結婚を具体的に考え始めた時でした。

結婚したら私が特定の場所に縛り付けられているわけにはいかない、けれども私は仕事をしないでは生きていけそうもない。それなら、場所に縛られない働き方を模索しなくてはならない。

私は文章を書くのが好きだし、他人様から褒めてもらえるのは文章くらいなので、それを仕事にできればいいと思いました。

こう考えるようになったのは、駐在開始から1年近く経って、打開できない色んなことに閉塞感を感じ始めた頃でもありました。

1年色々やっても実現できないことは、多分そもそも私にはできないことなのだろう、という諦めが出てきてしまうんですね。できない言い訳ならいくらでも見つけられるほどには色んなことに精通していたし、何より、自分一人で自分を奮い立たせ続けるには、1年はあまりに長すぎました。

 

駐在していた頃は同業者が集まる会議なんかにも出席していたので、色々な人と会う機会がありました。この人のようになりたいと思う人もいれば、その逆もありました。

そのように良くも悪くも人から学ぶ中で、私が一つ思い至ったのは、誰かに責任を負うということの重みでした。

私一人なら、誰から批判されようとも、疎外されようとも、実際そんなに問題にはならない。けれども、私に家族、特に子供がいればそうはいかない。私への批判は私の家族への批判に転換されてしまうし、私が疎外されれば私の家族もろとも疎外されてしまう。

逆に言うと、家族を持つということは、自分を責任ある人間たらしめる誓約のようなものなのだと思い至り、それを欲するようになりました。

責任を負うべき家族が欲しい。だから結婚したい。「身を固める」という表現がありますが、たぶんそのニュアンスが一番近いでしょうね。

同僚の一人にそんな話をしたら「私は逆で、ずっと責任を負わずに生きていきたいですけどね~」と言われて笑い話になりましたが・・・。

なんだか小難しく聞こえるかもしれませんが、結局のところ、仕事に励み続けていくための心の拠り所が欲しいということでしょうか。

 

このように色々思うところがあり、そして奇跡的に良縁に恵まれたこともあって、「どこにいても収入を得られる妻」になるための過渡期としてフリーランスに転身した、というのが今までの流れです。

今もアフリカの国際協力に関わっているので、仕事の内容から見れば業界内で転職したようなものですが、働き方という意味では大きく変わりました。

まず雇われていないので、組織への忠誠とか奉仕みたいな義務感がない。

そして組織に属していないので、上司もいなければ部下もいない。これは一長一短ですが、とにかく組織にありがちな理不尽な上からの指示には従わなくていいし、人を育てる労力も割かなくていい。

あとは、出勤時間でなく業務時間で縛られるので、在宅で作業してもいいし、サービス残業もなく、公私をきっちり区別できる。

フリーランスなので、当然ながら自分の気力と体力の範囲内で好きな仕事を掛け持ちできるし、仕事以外でも自分のしたいことのために時間を割ける。

一つの組織に囲い込まれることなく、自分の意思と資質次第で自由に活躍できる、そんな可能性を感じます。

もちろんいいことばかりではありませんが、今は過渡期であって、私の目指すところへの通過点にすぎないのだから、と先々の目標を見据えて励むのみです。

1人暮らししていた頃と違って、今は婚約者と猫が傍にいてくれるので、わたしの家族への希求はずいぶん満たされ、少なくとも仕事の場では以前より安定を保てるようになったかと思います。

すっかり自分語りになってしまいましたが、特に国際的な領域で働く女性は、20代後半以降、働き方について考えることが増えて来ると思いますので、一例として参考になれば嬉しいです。

 

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